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自由意志の哲学と自由意志の実験哲学①

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前回からずいぶん活動報告の間が空いてしまいました。先月、プロジェクト代表の稲荷森がスイス・チューリッヒ大学倫理センターで開催された3rd European Experimental Philosophy Conferenceに参加し、現在行っている自由意志の実験哲学的研究について報告を行いました。本日の記事ではその内容を取り上げます。 学会の集合写真(稲荷森は後ろから二列目) 自由意志の哲学においては、伝統的に決定論的世界と自由意志の両立可能性が問題となってきました。決定論的世界とは、平たく言えば、先行する原因と自然法則によって、そのあとに生じる事象がひとつに決定される世界のことです。たとえば以下のような状況を考えてみましょう。 ある宇宙(宇宙A)を想像してみてください。この宇宙で起こることはすべて、その前に起こったことのみに起因しています。これは宇宙の始まりから言えることで、宇宙の始まりに起こったことが次に起こったことを引き起こし、それが現在に至るまで続いているのです。たとえば、ある日太郎は昼食にフライドポテトを食べることにしました。この決定も、他のすべてのものと同様に、その前に起こったことのみに起因していたことになります。だから、もしこの宇宙のすべてが、太郎が決断するまで全く同じであったとしたら、太郎がフライドポテトを食べると決めることは、起こらざるを得ないことであったということです。 次に、起こることのほとんどすべてが、その前に起こったことのみに起因している宇宙(宇宙B)を想像してみてください。ただし、人間の意志決定だけは例外です。たとえば、ある日太郎が昼食にフライドポテトを食べると決めたとします。この宇宙では、人の決断はその前に起こったことのみに起因するわけではないので、たとえ太郎が決断するまで宇宙のすべてがまったく同じであったとしても、太郎がフライドポテトを食べようと決めることが起こらざるを得なかったわけではありません。彼は何か別のことを決めることができたのです。 つまり、宇宙Aでは、すべての決断は、その決断の前に起こったことのみに起因しており、過去を踏まえると、それぞれの決断はそのようにならざるを得ないのです。それに対して、宇宙 B では、決断は過去のみに起因するものではなく、人間の各決断が実際に起こる通りに起こらざるを得ないわけではありません。 このシ

AIは心理学実験の参加者になりうるか①

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 先月6月、東京の代々木オリンピックセンターで国際会議、SPT2023が行われました。本大会はSociety for Philosophy of Technologyの第23回年次大会であり、ホスト国である日本側は科学技術社会論学会(JSSTS)が主なオーガナイズを担当しました。 さて、本大会ではプロジェクト代表の稲荷森・副代表の竹下が発表を行い、「実験哲学におけるチャットAIの応用可能性」に関する研究を報告しました。今回の記事では大会初日(なんとトップバッター!)に行われた口頭発表の内容についてご紹介します。なお、今回の記事では主に研究の背景について詳しく掘り下げます。 自然科学の場合、実験データや観察データが理論に根拠を与えます。ある仮説Aを支持するデータが得られれば理論Aが正当化され、反対に仮説Aを否定するようなデータが得られれば理論Aは棄却されることになるでしょう。では哲学の場合、何が理論に正当化を与えるのでしょうか?この問題については様々な立場があるものの、現代哲学では「直観」が証拠としての役割をはたすとの見解がある程度受け入れられています。ここでいう「直観」とは、ある命題に関する意識的推論を伴なわない判断のことです。 たとえば次のような問題を考えてみましょう。 (a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。  (1) この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?(Wikipedia, トロッコ問題より)  これは「トロッコ問題」と呼ばれる有名な思考実験の一種です。私たちはこうした問題を提示されたとき、じっくり考えなくとも、どちらの選択をとるべきかについて直観的に判断することができます。 哲学においては、このような直観的判断が理論に対する証拠を与えると考えられてきました。つまり直観は、科学におけるデータと同じような役割を担うと考えられてきたわけです(もっとも、こうした見解を否定する人々もいる)。 上記の例でいうと、人々が「引き込んで5人を救うべき」という直観をもつとな

自由意志・AI・実験心理学

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本年度より、私が代表を務めるプロジェクト、「 近未来社会における新しい自由意志・責任概念 」がトヨタ財団特定課題研究:先端技術と共生する新たな人間社会に採択されました。 このブログでは、本プロジェクトのアウトリーチ活動の一環として、一般市民を含む様々な人々に我々の研究内容を発信していくことを目的とします。 さて、第一回目となる今回の投稿では、我々の研究プロジェクトの概要およびその目的に関して報告したいと思います。 【プロジェクトメンバー】 本研究の最大の特色は、プロジェクトメンバー全員が 北海道大学CHAIN に所属する博士後期課程学生であるという点にあります。 本プロジェクトは、CHAINに所属する学生同士で行っていた共同研究の構想を具現化したものに他なりません。 【プロジェクトの概要】 本プロジェクトの背景には、AIと人間の漸近という問題があります。近未来社会においては、AIが人間に代わって意思決定をする、我々の脳がインターネットや仮想空間に直接接続される、AIが人間の指示を受けることなく決断を下す、といったことが一般化していくと予見されます。実際、私たちは知らない土地で移動をするとき、自分で道を選ぶ代わりにGooglemapに意思決定をさせたりと、既に代理意思決定は身近なものになりつつあります。 こうしたAIと人間の漸近は、「自由意志をもつ責任主体」という従来の人間観を変容させると考えられます。 たとえば、クマが人間を襲ったとしても、私たちは熊を刑務所に入れようと考えたりはしません。しかし、人間が人間を襲った場合、私たちはその人が非難や罰の対象であると見なします。責任帰属(非難や罰)の対象となるのは人間だけ。 人間がもつ「自由意志」は、人間に対する責任帰属を特権的に基礎づけ、人間と他の動物を責任主体として区別すると考えられてきました。 しかしながら、今後AIと人間が漸近していくなかで、自由意志は人間だけのものではなくなると予見されます。そういうわけで、AIと人間のそれぞれにどのような自由意志・責任を帰属できるのかを解明し、新たな自由意志・責任概念の構築を目指そう、というのが本プロジェクトの大まかな目的です。 【具体的な研究内容】 本研究の第一段階として、「実験哲学」と呼ばれる手法を用いて人々の自由意志・責任概念を明らかにします。実験哲学とは実験心理学を応用した